これは、実在しない場所と人物を描いた創作短編です。
夜の通りで、証明写真機だけが明るかった。
建物の入口と入口のあいだに、白い箱のように置かれている。昼間なら自転車や買い物袋の影にまぎれるのに、店が閉まったあとでは、青いカーテンと硬い丸椅子だけが妙にはっきり見えた。
私は翌朝までに写真が必要だった。
急ぎの用事だったが、ここでなら間に合う。そう思って小銭を用意し、機械の前に立ったとき、カーテンの向こうから声がした。
「次の方、どうぞ」
機械の案内音だと思った。
けれど、画面はまだ待機中だった。料金も入れていない。中には誰もいない。カーテンは少し開いていて、丸椅子の上に、前の人が忘れたらしい細い髪が一本落ちているだけだった。
私はあたりを見た。
通りには私しかいなかった。向かいのシャッターも、角の掲示板も暗い。なのに足元には、列を作るときの銀色の線が三本貼られていた。昼には気づかなかった線だった。
一番前の線に、誰かが立っていた跡がある。
濡れた靴底のような形だった。雨は降っていない。私はその跡を踏まないように、少し横へずれて料金を入れた。
機械が明るくなった。
画面には、まっすぐ座ってください、と出た。私は丸椅子に座り、膝の上で手を重ねた。カーテンを閉めると、外の通りの音が急に薄くなった。
正面の小さなレンズが赤く光った。
一枚目の撮影まで、三秒。
二秒。
一秒。
光が落ちた瞬間、背中のすぐ後ろで誰かが息を吸った。
私は振り返らなかった。狭い箱の中に、振り返る場所などない。カーテンの布が、外から押されたように背中へ触れていた。
撮影は続いた。
二枚目、三枚目、四枚目。案内の声は淡々としている。目を開けてください。もう少しあごを引いてください。撮影が終わりました。写真をお選びください。
画面に四枚の候補が並んだ。
どの写真にも、私は写っていなかった。
背景の白い板、丸椅子、膝の高さにある古い傷、カーテンの影。それだけが四枚分、少しずつ角度を変えて写っていた。椅子には誰も座っていない。私の服も、顔も、重ねた手もない。
私は画面を押した。もう一度撮り直す、を選ぶつもりだった。
先に、外から声がした。
「終わりましたか」
男とも女ともつかない、小さな声だった。私は返事をしなかった。代わりにカーテンを開けた。
外には誰もいない。
ただ、銀色の線の二番目に新しい靴跡が増えていた。最初の跡より少し小さい。三番目の線には、片足分だけの跡があった。今まさに、もう片方が置かれる途中だったみたいに。
私は写真を受け取らずに出ようとした。
そのとき、取り出し口で紙が落ちる音がした。細長い写真用紙が一枚、口から半分だけ出ている。機械はまだ写真を選んでいないはずだった。
私は用紙を引き抜いた。
四つ並んだ写真のうち、左上だけに人が写っていた。
それは私ではなかった。
白い背景の前に、知らない人が座っている。顔は暗く、輪郭だけがぼんやりしていた。膝の上で手を重ね、こちらを見るかわりに、写真の外を見ている。
右上には、誰もいない丸椅子。
左下も、誰もいない丸椅子。
右下には、青いカーテンの隙間から外をのぞく私の横顔が、小さく写っていた。
その写真の中で、私の後ろに列ができていた。
三人いた。みんな顔が暗く、銀色の線の上に静かに立っている。最前列の人だけが、こちらへ口を開けていた。
写真の余白に、黒い小さな字が印字されていた。
写っていない方から、順番にお並びください。
私は写真を落とした。
通りは相変わらず暗かった。だが証明写真機の画面だけが、内側から青く光っている。カーテンの向こうで、椅子がきしんだ。
誰かが座ったのだと思った。
けれど、すぐに画面から案内音が流れた。
「次の方、どうぞ」
その声を聞いた瞬間、足が勝手に銀色の線へ戻った。
私は一番後ろに並んだ。前には三人いる。いちばん前の人がカーテンの中へ入ると、通りの明かりがひとつ消えた。
二人目が入ると、向かいのシャッターの模様が消えた。
三人目が入ると、私の手元の写真から、その人だけが消えた。
そして私の番になった。
カーテンの内側には、誰も座っていない丸椅子があった。けれど画面の四枚には、さっきまで列にいた三人が写っている。みんな、少しずつ明るい顔をしていた。
空いているのは右下だけだった。
私は椅子に座った。
撮影まで、三秒。
二秒。
一秒。
光が落ちる直前、外で誰かが小銭を入れる音がした。
私はその人に譲るため、声を出そうとした。
けれど機械の案内音のほうが早かった。
「次の方、どうぞ」