以下は、架空のコインパーキングを舞台にした創作短編です。
午前三時のコインパーキングは、眠っているように見える。
精算機の小さな画面だけが青白く光り、雨上がりのアスファルトに「空車」の文字が揺れていた。私は近くの部屋へ帰る途中で、いつもその前を通る。
その夜、奥から二番目の車室に一台の車が止まっていた。
灰色の小さな車だった。窓は暗く、中に人がいるかどうかは分からない。別に珍しいことではないはずなのに、私は足を止めた。
理由は、精算機の表示だった。
現在駐車中の車両はありません。
車止めの板は上がっている。ライトも点いていない。けれど、車は確かにそこにある。
近づいて確認するほどの用事はない。そう思って通り過ぎようとしたとき、精算機が短く鳴った。
画面に、今まで見たことのない文字が出ていた。
出庫処理中です。車室二番を空けてください。
二番は空いている。車がいるのは奥から二番目、七番だった。私は振り返った。
灰色の車のブレーキランプが、音もなく赤く光った。
エンジンの音はしなかった。車止めが下がる音もしない。それでも車は、ゆっくり後ろへ動き出した。誰も乗っていないように見えるのに、ハンドルだけが少しずつ切られていく。
私は歩道の端まで下がった。
車は出口へ向かわなかった。駐車場の中を半分だけ回り、空いている二番の前で止まった。
そこで、ドアが一枚開いた。
運転席ではなく、後部座席の左側だった。暗い車内から、濡れた傘だけが地面へ落ちた。黒い、どこにでもある折りたたみ傘だ。
精算機がまた鳴った。
お忘れ物を回収してください。
私はその場を離れるべきだった。
けれど傘は、私のものに見えた。正確には、前の週に失くした傘と同じだった。柄の先に巻いた白いテープまで同じで、そこには薄く、私の部屋番号が書いてある。
触れなければいい。そう思いながらも、私は駐車場へ一歩入った。
その瞬間、入口の表示が「満車」に変わった。
十台分の車室は、灰色の車以外すべて空いている。なのに車止めの板だけが、順番に上がっていった。一番、二番、三番。見えない車が入ってくるように、雨水が細く跳ねる。
精算機の画面には、入庫時刻が並んでいた。
一番 02:41
二番 02:48
三番 02:52
四番 02:56
五番 02:59
六番 03:00
七番 記録なし
七番だけが、そこにないもののように扱われていた。
傘は二番の白線の内側に落ちている。拾おうとしゃがむと、足元の板が低くうなった。
私は反射的に身を引いた。
車止めは、私が立っていた場所をふさぐように上がった。もし一歩遅れていたら、足首を挟まれていた。
灰色の車の窓が、少しだけ下がった。
中はやはり暗い。誰もいない。けれど、助手席に小さな紙が置かれているのが見えた。
七番は、出庫させないこと。
精算機が三度目の音を出した。
未精算車両があります。
画面には、二番と表示されていた。
二番には何もない。そう思ったとき、空気が少しだけ押された。見えない車のドアが閉まるような音がして、傘が奥へ引きずられた。
私は駐車場の外へ走った。
歩道に出た瞬間、満車の表示は空車に戻り、すべての車止めが下がった。灰色の車は七番に戻っていた。傘はもうない。
精算機の画面には、いつもの案内だけが表示されていた。
翌朝、明るくなってから同じ場所を通ると、駐車場はいつも通りだった。七番には何も止まっていない。精算機にも異常はない。
ただ、二番の白線の端に、白いテープの切れ端が貼りついていた。
私はそれを拾わなかった。
それから、午前三時にはその道を通らないようにしている。けれど部屋の窓から見ると、駐車場の「空車」は毎晩、同じ時刻に一度だけ「満車」へ変わる。
そして七番の車室だけは、どんな夜でも空いたままだ。