【創作短編】誰も通らない地下通路、出口案内の矢印だけが逆を向く

これは、実在しない地下通路と架空の人物を描いた創作短編です。

その地下通路を使う人は、もうほとんどいなかった。

地上の出入り口は別にあり、わざわざ遠回りになる通路を選ぶ理由がない。昼でも照明は少し暗く、壁のタイルには古い雨の匂いが残っている。私は近道を探していたのではなく、ただ、外の風に当たる前に少しだけ一人になりたかった。

入口のそばに、出口案内の矢印があった。

白い板に緑の文字で「出口」と書かれ、矢印は通路の奥を指している。何の変哲もない案内だった。私はその下を通り、まっすぐ歩いた。靴音だけが壁に返り、遠くの換気扇が眠そうに回っていた。

半分ほど進んだところで、二つ目の案内板が見えた。

そこにも「出口」と書かれていた。けれど矢印は、私が来たほうを指していた。

私は立ち止まった。通路は一本道で、曲がり角も扉もない。前へ進めば出口、後ろへ戻れば入口のはずだった。板の取り付け向きを間違えたのだろうと思い、私はそのまま進んだ。

三つ目の案内板も、後ろを指していた。

四つ目も、五つ目も同じだった。奥へ行くほど、矢印は強く戻れと言っているように見えた。文字はどれも新しく、緑の塗料だけが濡れたように光っていた。私は振り返った。入口側の案内板は、いつの間にかこちらを向いていた。

つまり、すべての矢印が私を同じ場所へ戻そうとしていた。

それでも、私は出口へ向かった。通路の先に階段があるのを覚えていたからだ。実際、少し歩くと階段の手すりが見えた。天井の照明もそこで明るくなり、湿った匂いも薄くなった。

階段の手前に、最後の案内板が立っていた。

そこだけは壁に取り付けられていなかった。細い脚のある自立式の板で、誰かが私の前に置いたように通路の中央をふさいでいる。矢印はやはり後ろを指していた。文字の下には、小さく手書きの線が足されていた。

出口は、通ってきたほうです。

私は笑おうとしたが、うまく息が出なかった。通ってきたほうにあるのは入口だ。そう思って振り返ると、通路の奥に、さっきまでなかった人影が立っていた。

人影はこちらへ歩いてきた。

足音はしない。背丈も服も、私とよく似ていた。けれど顔だけが暗く、近づいても表情が見えない。私は階段へ向かって一歩下がった。すると、最後の案内板がかすかに揺れ、矢印の先が人影の胸を指した。

そこで初めて、私は自分の手が空だと気づいた。

いつも持っている鞄がない。上着のポケットに入れたはずの鍵もない。携帯電話も、財布もない。地下通路へ入る前に持っていたものが、一つずつ私から抜け落ちていた。代わりに、人影の手には私の鞄があった。

人影は、二つ目の案内板の下で止まった。

暗い顔の中から、私の声だけが聞こえた。

「出るなら、そっちじゃない」

私は階段を見上げた。上には白い光があり、風の音も聞こえる。普通なら、あちらが出口だった。けれどその光を見ていると、なぜか今日の朝から今までのことが、薄い紙のように遠ざかっていく。誰に会ったのか、何を話したのか、ここへ来る前に何を失くしたのか、順番がほどけていった。

人影は、来た道を指した。

私は戻った。案内板の矢印に従って歩くと、通路は少しずつ短くなった。壁のタイルのひび、床の水の跡、換気扇の音。さっき通ったものが、一つずつ私の中へ戻ってくる。鞄の重さを思い出し、鍵の冷たさを思い出し、最後に、自分がここへ入った理由を思い出した。

一人になりたかったのではない。

私は、誰にも見つけられない場所へ逃げ込もうとしていた。

入口の案内板まで戻ると、人影は私の前に立っていた。顔の暗さが薄れ、そこに私の顔が現れた。私より少し疲れていて、私より少し先を知っている顔だった。人影は鞄を差し出し、通路の外を指した。

入口だと思っていた場所の向こうから、夜の風が流れ込んできた。

私は鞄を受け取り、外へ出た。振り返ると、地下通路の案内板は最初と同じように奥を指していた。もう逆向きではない。誰も通らない通路の奥で、緑の矢印だけが静かに光っている。

それ以来、私は出口案内を見るたびに少しだけ立ち止まる。

矢印が指しているのは、いつも前とは限らない。戻らなければ出られない場所もある。あの地下通路がどこにつながっていたのか、今でも分からない。ただ、あの日だけは、出口が私の後ろにあった。

この作品は創作です。実在する人物・団体・出来事・投稿とは関係ありません。