これは、実在しない小さなプラネタリウムと架空の人物を描いた創作短編です。
閉館後のプラネタリウムでは、投影機の冷える音がいちばん長く残る。
私はその小さな施設で、夜の片付けを任されていた。座席の間に落ちたパンフレットを拾い、出口の鍵を確かめ、最後にロビーの案内板を消灯する。案内板には、その日に上映した星空の図が貼られている。黒い紙の上に白い点と細い線があり、線のそばには星座の名前が並んでいた。
最初に消えたのは、右上の小さな星座だった。
星の点は残っている。線も残っている。けれど、横に印刷されていたはずの名前だけが消えていた。紙が破れたわけではない。白い文字のあった場所だけ、黒く塗り直したようになめらかだった。
私は貼り替え用の予備を探した。
棚の中の同じ案内図にも、その名前はなかった。控えの一覧表にも空欄が一つある。昼間に見たときは確かに埋まっていたはずだが、何という名前だったかを思い出せない。思い出そうとすると、喉の奥で小さな息だけが止まった。
翌晩、空欄は二つになっていた。
三晩目には五つになった。消えるのは、星でも線でもなく名前だけだった。案内板の星空は少しも欠けていないのに、読む場所だけが減っていく。説明できない白い余白が増えるほど、ロビーは広くなったように感じた。
私は閉館後に、投影機をもう一度だけ動かしてみた。
ドームの天井へ星が広がった。録音された案内の声が、いつもの低さで今日の空を説明し始める。ところが、星座の名前を言うはずのところで、音声だけが途切れた。短い沈黙のあと、説明は何もなかったように次の星へ進んだ。
天井には、名前を失った線だけが残っていた。
私は座席の最後列に立ったまま、空を見上げた。名前がないだけで、星の並びは急に近くなる。誰かに教わった形ではなく、暗い天井に開いた小さな穴の集まりに見えた。そこから、こちらをのぞく目があるようにも見えた。
その夜、案内板の下に紙片が落ちていた。
拾うと、切り取られた星座名の札だった。文字はない。裏返しても何も書かれていない。ただ、紙の端に細い黒い線が一本続いていた。案内図の線と同じ太さだった。
私は札を引き出しにしまった。
翌朝、その引き出しは空だった。かわりに案内板の星空から、さらに三つの名前が消えていた。職員用の予定表にも、過去の上映記録にも、同じ空欄が増えている。誰も不思議がらなかった。もともとそこには名前がなかった、と言われれば、それで終わってしまう程度の空白だった。
私は自分だけが覚えているうちに、消えた数をメモに残した。
一つ、二つ、五つ、八つ。けれど、名前そのものは書けなかった。空欄の位置だけを丸で囲み、消えた、と小さく添える。それだけでも翌朝には、丸の中が黒くにじんでいた。紙に書いた空白まで、案内板へ戻っていくようだった。
最後の上映が終わった夜、案内板には星の点だけが残っていた。
線も名前もない。黒い紙に白い点が散っているだけだった。私は消灯する前に、ロビーからドームへ戻った。理由は分からない。ただ、案内板がもう案内ではなくなったとき、投影機の中で何かが完成した気がした。
ドームの星空にも、線はなかった。
そのかわり、座席の背もたれに小さな白い点がいくつも浮かんでいた。通路にも、壁にも、非常灯のそばにも、星のような点が並んでいる。私は懐中電灯を向けたが、光の中でも点は消えなかった。
点は、出口へ向かって続いていた。
私はその列を追った。ロビーへ出ると、案内板の前で点は止まっていた。黒い紙の中央に、知らない線が浮かび上がっている。星と星を結ぶ細い線ではない。受付、通路、ドーム、倉庫、出口。施設の中をなぞるような線だった。
その線の端に、一つだけ名前が残っていた。
星座名ではなかった。私が毎晩、点検表の担当欄に書いていた名前だった。
私は案内板から目を離した。
投影機の冷える音が、まだドームの奥から聞こえている。いつもなら少しずつ小さくなる音が、その夜だけは近づいてきた。誰かが暗い天井の裏側で、こちらの場所を覚えようとしているようだった。
翌朝、案内板は新しいものに貼り替えられていた。
星座の名前は全部そろっている。上映記録にも異常はない。私の点検表だけが一枚抜けていた。担当欄は空白で、ロビーの案内板には、誰も知らない小さな星座が一つ増えていた。
その星座には、まだ名前がない。