これは架空の場所を舞台にした創作短編です。
午前六時になると、屋上庭園の自動散水が短い雨のように降る。
その建物には名前がなかった。入口の板にも、廊下の案内にも、ただ階数だけが書かれている。屋上へ出る扉の横には「朝だけ開けること」と手書きされた紙が貼られ、誰が貼ったのかは分からないままだった。
私は毎朝、散水が止まる少し前に屋上へ上がる。白い鉢を東の柵から三歩ぶん離し、青い鉢を給水管の影に寄せ、ひびの入った茶色の鉢だけは中央の丸い敷石へ置く。それが前の日に決めた並びだった。
けれど、翌朝になると茶色の鉢だけが戻っている。
いつも、昨日の朝と同じ場所へ。
最初は風のせいだと思った。屋上は四方を低い壁で囲まれているが、夜になると細い風が排水口のあたりを鳴らす。軽い鉢なら動くこともあるだろう。そう考えて持ち上げようとすると、茶色の鉢は両手にずしりと沈んだ。
中には土と、名前の分からない小さな葉が三枚あるだけだった。
私は鉢の底に薄い紙片を挟んだ。次の朝、紙片は中央の敷石の上に濡れて落ちていた。鉢は東の柵のそば、昨日の朝の位置へ戻っていた。
その次の日は、敷石に白い線を引いた。さらに次の日は、鉢の向きを少しだけ変えた。割れ目がこちらを向くようにしておけば、誰かが運んだときに気づくはずだった。
午前六時、散水が止む。
茶色の鉢は、白い線の外にあった。割れ目は、昨日の朝と同じ方を向いていた。
屋上には私の足跡しかなかった。濡れた床に残る靴底の跡は、扉から鉢へ伸びて、また扉へ戻っている。誰かが先に来たなら、別の跡があるはずだった。誰も来ていないなら、鉢は自分で戻ったことになる。
そう考えたところで、私は初めて、戻っているのが鉢ではないのかもしれないと思った。
翌朝、私は何も動かさずに屋上へ出た。白い鉢も、青い鉢も、茶色の鉢も、昨日の夕方に見た位置のままだった。ただ、中央の丸い敷石の上に、乾いた土が指先ほど落ちていた。
土の形は小さな矢印に見えた。東の柵ではなく、扉の方を指していた。
私は扉の前にしゃがんだ。灰色の金属板の下、ほんのわずかな隙間に、古い紙片が挟まっていた。濡れて乾いてを繰り返したのか、端が波打っている。引き抜くと、鉛筆の薄い字がまだ読めた。
「ここに戻すこと。朝が来るまで。」
それだけだった。日付も名前もない。
私は紙片を元の隙間へ戻した。茶色の鉢を中央の敷石へ置き、割れ目を扉の方へ向けた。すると散水の管が、まだ時刻ではないのに一度だけ鳴った。
水は出なかった。
その日から、私は茶色の鉢を動かしていない。白い鉢と青い鉢だけを少しずつ並べ替える。屋上庭園は毎朝、ほとんど昨日と同じ顔をしている。
ただ午前六時になると、茶色の鉢の葉が一枚だけ、扉の方へ傾く。
私はそれを見るたび、あの紙片を書いた誰かが、まだ朝を待っているのだと思う。けれど、それを確かめるために夜の屋上へ上がったことはない。